夢の中で出会い、でも覚めたら記憶が急激におぼろげになり、大切なはずの名前さえ忘れる。
こういう前提自体を意識すれば、夢の中の西暦日時や地名を覚えていなかったり夢の中で違和感を持ったとしても
覚めたら忘れてしまったり記憶が記憶の引き出しの奥に眠ってしまうのはすごく自然です。
だから、瀧も三葉もお互いを探しに行くときは、個別具体的な地名や場所情報ではなく心の中のイメージを頼りに
猪突猛進的にある種の衝動で動いているのです。それに、タイムスリップしているのでは、という疑念自体持たなければ
西暦とか大して気にしないはずですしね。そもそも皆さん、自分が夢を見たとき夢の中の西暦日時を覚えていないでしょうし、
夢の中でも気にもしていないでしょう笑
そういう意味で設定にも一貫性がありストーリーが良かったです。

それから、三葉の父を説得した場面をもっととか、意味がわからないです。映画の描写の中で三葉の父が三葉に入れ替わってる瀧に
「お前は誰だ」的なことや「宮水の血筋のやつはまた盲言を」と言う場面や、三葉の祖母が「わしも昔は夢の中で誰かと」的に言う場面もあります。
そうすると、少なくとも三葉の父は過去に何かの経験や心に封印した出来事があって、そこに必死の形相の三葉がやってきて、、、
となればあとは想像できるでしょう。
そもそも説得をしっかり描いたら、布石というかフラグになり三葉たちが助かる先を予想できてしまい、
さあ助かったのか助からなかったのかという初見での観客度ののめり込み度を削いでしまいます。

それから、二人がどこで恋に落ちたとか、もう馬鹿ですか。

なんかもう映画って、理屈っぽいくせに馬鹿だから映画を見て生じる?を映画の中の要素から解決できない層につくらないといけないんですかね。
だからなんでもかんでも登場人物がペラペラ喋る過剰説明の映画が多くなってうんざりするんです。