おっこはご両親が亡くなったことをまだ受容できてないんでしょう。おっこが度々見ているご両親の夢(幻覚)からして。

そんな心の傷が癒えてない、というか傷口が開いたままになっている子供に、自分のご両親が亡くなる原因になった人(木瀬)を会わせるっていうのは、脚本の良識を疑います。

敢えておっこをそこまで傷つけた上、若おかみという立場を押しつけて木瀬を受け入れさせるというのは、観客を「感動」させるための脚本家のエゴでしょうか?それとも結末を「お約束」の形に落とし込むためだけのただの流れ作業でしょうか?

せっかくPTSDの描写をしていても、最後がこれではキャラクターの気持ちに寄り添っていませんよ。事故の被害者はPTSDになるという知識を制作サイドのアリバイとして機械的に描いているとだけに思えます。

キャラクターが観客を「感動」させるために脚本の都合に沿った道具になってしまっています。