これもテンプレにならんかな?

古舘とのやりとり

批判意見について

新海 『どうやったら見てくれる人と繋がれますか?』

古舘 『徹底的に自分にとって嫌な文章を読み続けました。批判意見を毎日何百本書かさず読みました。そうするとだんだん少しだけ
見えたかなと言う辺りでやめてしまったんだけど、ちょっと繋がれる気がします。』

新海 『キツ…。でもまあじゃあ僕もヤフームービーの低評価レビューとか一杯見れば少しわかってくることがありますかね?』

古舘 『あのだから、中にはマイノリティかもしれないけど、君の名は。に異議を申し立てる人、そこに宝石はあると思います。』


新海の結論

――次の作品を、「主人公と社会の価値観が対立する」映画にしようと思ったのはなぜだったのでしょう。

それは……僕自身の気分だったとしか言いようがないですね。直接的な理由を挙げるなら、『君の名は。』がすごく批判を受けたと
いうことはあります。『君の名は。』の公開期間中だと、テレビをつけても、雑誌を見てもそういう感じで。「ガキっぽい映画だ」
みたいな言われ方もずいぶんしましたし、「代償なく人を生き返らせて、歴史を変えて幸せになる話だ」とも言われました。「ああ、
全く僕が思っていたことと違う届き方をしてしまうんだな」と思いました。
瀧も三葉も、代えがたいものを失う経験をし、それによって決定的に変えられてしまった人ではあるんです。そうした反響への反発
のようなものが、『天気の子』をスタートさせるときに、最初にあったんだと思います。

でもそこで「じゃあ、怒られないようにしよう」というふうには思わなかったです。むしろ「もっと叱られる映画にしたい」と。その
とき自然に浮かんできたのがそちらの感情だったんですよね。『君の名は。』に怒った人をもっと怒らせたい。たぶんそれこそが、
そのときの僕の表現欲求の核にありました。