>>438
グラエス厨に対してそもそも挿入歌演出はそれ自体で無闇に破壊力デカイという話を引用しておく。


『俺は逆で、ラッドの楽曲自体は嫌いじゃないんだよね
わざわざ単体で聴きたいとは思わないけど、ちょっと口ずさんでしまうくらいにはキャッチーな良い曲だと思ってる
(まあ歌詞はどれも厨二だなぁと思うけど)
ただ、映画音楽としてどうかといわれると全然ダメで。そもそも演出家がダメだから
どんな名曲でも使われ方によってはノレないわけで

劇伴というのはドラマと映像と音楽のアンサンブルなわけで
歌は、音楽単体で色を最大限出すのが仕事
ところが劇伴には「音」以外にも「ドラマ」と「映像」という色、もしくは「味」がある
通常なら音楽単体でも人の心を最大限揺さぶれるエモさがあるものを、掛け合わせられるわけ
だから、劇伴には「適したバランス」ってのがあるんだよ。作品内の構成上の配置も関わってくる

新海はそれを「そろそろ観客が飽きてくるだろうからカンフル剤注入しとこ^^」くらいの意識でしかやってない
しかも映像とドラマの配分も意識せずとにかく大衆ウケするバンド曲を流しまくる
「観客の感情の流れを計算しましたw」とか言ってさ
だから「合ってない」と批判される

この世界の片隅にだって縄と同じで挿入歌が四曲ある
でも縄みたいに「合ってない」とか「うるさい」とか「多すぎる」とかいう批判は見たことない
片隅は、まさに映画音楽らしい配分と計算で挿入歌が使われてたからね
歌の入れ方がまず上手い。いきなりドカーンと場違いな歌を入れるじゃなくて
あくまで他の劇伴と同じテイストの曲調で始まり、気づかないうちに歌が入ってくる
挿入されるタイミングもちゃんとドラマ上の文脈に沿ったもの
映像も本編から切り離したものじゃなく、ちゃんと本編の流れのなかにある(オープニングの悲しくてやりきれないのシーンなど)

ラッドの曲が悪いとは思ってない人間にも受け入れられないのが新海の浅はかな演出だよ』