ダイジンは安政の、鈴芽は平成の震災孤児だ
だが、もう人ではなくなって久しいダイジンには、鈴芽と心を通わせることができない
ともに震災孤児として語り合う場面は、遂に訪れない
鈴芽のダイジンに対する好感は最初だけ、あとはダイジンの一方通行
ダイジンは鈴芽を先導してるつもりで170年ぶりに目にする日本縦断の道中を楽しんでいるように見えるのが、可愛くもあり切ない
ここ二作品で封印してた「届かぬ想い」が描かれている
ダイジンを単にマスコット的存在、あるいはトリックスターとしてだけ視るのではなく、もう一人の主人公として視れば、いかにも新海作品らしい苦さ切なさがあるとも言える
安政の震災孤児は、平成の震災孤児とは心の交流ができずに終わった
既に人ではなくなってしまったので、神として全うすることを最後に選んだ
だが、閉じ師の草太も、涙は流してくれた鈴芽も、もう手を合わせ拝んでくれることはない
俺たちだって、近過去の被災者に想いを寄せることはあっても、江戸時代やそれ以前の被災者に想いを寄せることは時代が遠過ぎてできない
ものすごくビターな物語なのかもしれない