最初に宮城のどうでもいい顔だけが描かれたポスターを見たとき、この映画は彼についてだけの内容なのか、それともチーム全員が登場するプロモーションポスターの一つなのか疑問に思ったが、残念ながら大ハズレだった。

結局この映画は宮城と彼の不必要な家族ドラマが中心で、それを1試合の試合中に見せるという内容だった。例えるなら、バスに乗っていて運転手が20分ごとに急ブレーキを踏んだりアクセルを踏んだりする感じだ。退屈で陳腐なドラマに魂を吸い取られたと思ったら、試合が映り、また不必要なドラマが続く。これを繰り返されると、どんな感情的な盛り上がりを狙っていたとしても私には全く響かなかった。エンドクレジットの後も結局宮城一家のドラマで終わる。だったら映画のタイトルを「宮城 - スラムダンク 鬱モード突入」にしたほうがいいんじゃないか?

アニメや漫画の宮城は、背景キャラのような存在で、『ドラゴンボール』でいうところのヤムチャに近い。それなのに彼がこの映画の主役になっているのは理解に苦しむ。誰も彼の存在に興味なんてないだろう。

私たちはスラムダンクを必ずしもバスケットボールや主人公の桜木のために好きなわけではない。この作品を好きな理由は、そのユーモアにあった。しかし、その90%が消え去り、代わりに「おじさんの鬱」が詰め込まれていた。これは私が好きだったスラムダンクではないし、20年も待つ価値は全くなかった。まるで『ハーフライフ3』を待っていたら、Valveが『ハーフライフ: Alyx』をリリースしたようなものだ。

試合について言えば、もし宮城のどうでもいいバックストーリーを完全に省いた特別版が公開されるなら、その時だけこの映画は観る価値があるだろう。でもそうでなければ、エモ好きで普段の生活が幸せすぎてドラマを求めている人向けだろう。

スラムダンクを知らずにただバスケ映画を観たいだけの人にとっても、この映画は観る価値がない。普通の人ならバスケの試合で鬱展開なんて見たくない。しかし、この映画の最大の問題は、鬱の要素のせいで試合が何度も中断されることだ。もし時系列順にイベントが進むなら、宮城のサブストーリーを忘れられるし、次にいつ試合が中断されるかを考える必要もなくなる。その方がまだマシだろう。このせいで試合の雰囲気に全く入り込めなかった。これはまさに「ストーリーテリングを台無しにする方法101」そのものだ。お見事、監督さん。宮城はもう私のアート作品には二度と登場しない。チーム全員を1フレームに描くときでさえ、彼だけは描かない。