映画「果てしなきスカーレット」感想ネタバレあり解説 赦すことに苦悩するハムレット。 - モンキー的映画のススメ
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ケネスブラナー版のハムレットが、ちんぷんかんぷん且つナルシスティックなケネスを見てられなくてものすごく面白く感じなかった分、本作はいわゆるハムレットの現代的解釈とも呼べる作品故、ハムレットをまず知りたかったからこれを見ればなんとなくわかるよ、といった小学生向けのハムレットだったのではないかと、小学生みたいな感想から始まってすいません。

そもそも死者の国とはなんなのか。
これは多分に天国でも地獄でもない場所、三途の川的場所なんでしょうかね。
行き場所がないから誰もが見果てぬ場所を目指すわけであり、やることがないから支配しようと企む愚か者がいる。
現世では死んだことになってるけど、だからといってここでずっと生きてもいけない。
死ねば虚無となってしまう条件があることから、誰もがそれを恐れながら、現世で果たせなかった思いを胸に「生きてる」という設定、でいいのか?
ここでスカーレットはクローディアスが送り込んできた伏兵と幾度も闘いながら、現代から「間違って」やってきた聖と出会い、復讐にかられるスカーレットとは違い「それは違う」とストッパー役として敵の怪我を直したりするハクソー・リッジのアンドリュー・ガーフィールドみてえな役柄として活躍する。
一応戦いがメインだった中世の王女と、新しい戦前で生きるZ世代の聖という全く違う時代を生きる2人が、戦うこと、復讐することの是非を問いながら旅を続けるバディモノとして描かれてはいる。
しかしこの聖、弓矢は撃てるわ琵琶だかマンドリンみてえな楽器は弾けるわと何かと芸達者で、救急隊員としての仕事っぷり以上に、こうした芸が旅で活かされていくのは面白くもあり不思議でもあった。
何が驚いたって、夜にたき火しながら弦楽器を弾いて歌いだすと、スカーレットが急に眼を大きく見開く。
辿りついた場所はなぜか聖がいる近未来の渋谷で、スクランブル交差点でみんなが歌って踊り出す姿が映し出される。
監督自身「龍とそばかすの姫」のミュージカルパートが気に入ったから今回もやってみたそうだが、あまりに唐突すぎる描写以上に、「一体俺は今何を見てるんだ?」とこっちが虚無に落ちる所だった。
そこではスカーレットも現代にいて、誰もが楽しそうに歌い踊るんだけど、そのダンスがいわゆる腰クネクネしながら踊るラテンのリズムで、やたら聖の腰回りが柔らかすぎて逆に気持ちが悪かったのだ。
スカーレットがどう踊ろうが問題はない。中世にラテンのリズムがあったのかどうかは知らないけれど、社交界に出れば殿方とのダンスは必然だろうから、仮にあのダンスでも理解はできる。
でも聖は救急隊員で、頭は短髪。
見てくれのイメージも相まって、その腰つきはどうも解せん。
・・・と自分の視点なので好き勝手書いてみたが、恐らく誰もだがあのミュージカルパートに戸惑うことだろう。
物語は、普通に生きる市民たちと、あらゆる時代で戦った兵士たちで構成されたクローディアス軍団との一騎打ちが描かれる。
まるで革命を起こしてるかのような命を丸投げにした突っ込み、それを容赦なく攻撃し虚無に支える軍隊。
どの時代もどの場所でも争いはこうして悲劇にしかならないことを示唆したかのような描写を容赦なく見せていく。
その中でもスカーレット歯向かってくる敵を斬り、聖は大けがを負った人の手当てに勤しむ。
すると火山が噴火し、相当量のマグマが彼らに降り注ぐ。
それでも「見果てぬ場所」へ向かおうと足を止めない彼らは、無論焼け焦げはいとなっていくんだけど、これがアニメーションとはいえ生々しい。
そう、結構本作は気味悪い描写がちょっぴり入ってるのがスパイスになってたように思う。
特に終盤でのクローディアスとの対峙はなかなかで、ドラゴンが放つ雷によって丸焦げになった姿をグロテスクに映すし、その後虚無になっていくまでを時間たっぷり使うことで、如何にクローディアスが生き抜くことに未練タラタラなのかが伝わること以上に、血管むき出しにして命乞いをする表情が、細田作品にはあまり見かけない姿ではっとした。
物語は、ようやく「赦す」とは何を刺すのかの答えを提示する。
それは「クローディアスを赦す」のでもなく「先に死んだ父を赦す」のでもなく「自分を赦す」こと。
復讐に駆られて生きる事なんてしてほしくないという細田パパの思いがラストのセリフで告げられることはもちろん、将来のビジョンや夢を持って生きる次世代の若い人たちが、