新幹線大爆破

『新幹線大爆破』は興行収入10億円を目標としていたが[177]、製作費が高かったため、国内興行では約2億円の赤字を出し[180]、「大金を投じて開発した新路線の第一弾が大脱線」などと揶揄された[181]。公開初日に新宿東映で立ち合いをしていた坂上プロデューサーに全国から届くのは不入り情報ばかりで[95]、「私のプロデューサー生命も3年で終わりか」と覚悟した[95]。岡田は「駄菓子屋がいい洋菓子を作って、作った本人が『これは美味しい。素晴らしい』と言って店頭に飾ったら、誰も買わなかった。一生懸命広告したけど、お客の方が駄菓子屋で洋菓子を売ってると思ってなかった」[103]「意欲の面、作品的な面でも100点満点で、観客も新しい層を獲得したが、プラス・アルファーだけの客しか来ず、本来の観客を逃す結果になった」[103]「もう大作はこりごり」[151]「もう東映ファンに嫌われる企画は出さない」[182]「本来の東映ファンを大事にしないと駄目だ」[183]などと、敷いたばかりの大作路線からの撤退を表明した

国内公開終了後の秋にアメリカのジャーナリストを集めて試写を行うと高い評判を呼び、「通俗娯楽映画として水準を抜いたできばえ」「久しぶりの日本映画」などの評価を受けた[172]。特にアメリカの業界誌『バラエティ』で高く評価されたこと[16][196]、日本の新幹線が世界的に有名なことから、世界各国から注文が入り、1975年9月初めの時点で15万ドル以上の輸出契約が結ばれた[196]。

フランスではそれまで日本映画をマイナー扱いし[197]、アートシアター形式の小劇場でしか上映されなかったという前例を破り[170]、1976年6月30日からパリおよび近郊のゴーモン系劇場17館で一斉公開され[45][50][212]、8週間のロングランヒットを記録[7][13][170][128]。この時期、フランスはバカンスシーズンにあたるが[213]、この年夏にパリで公開された84本の映画のうち、第4位の興行成績で[213]、外国映画ではこの年の第29回カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞した『タクシードライバー』に次ぐ2位だった[214]。