【プロフェッショナル アニメーション映画監督・細田守】

細田にはあるコンプレックスがあった。

どもりというかね、今もあるんだけど、ちょっと言語障害があって、小学校低学年のときから特殊学級に行っていたんですよ。なんか言いたいことが、なかなか言いづらかったりとか、というような子どもだったのね。

クラスにうまく溶け込めなかった細田さんに、母は一本の映画を見せてくれた。宮崎駿監督の「ルパン三世 カリオストロの城」。未知の世界にいざなってくれる映画に心が踊った。将来の夢が決まった。

(略)あのスタジオジブリから思いがけない連絡が入る。「映画の企画がある。やってみないか」。日本最高峰のスタジオで大作を作るチャンスを得た。

やったー!みたいな。ついに長編だー!みたいな。絶対作れると思っていたんだよね。

これまで培ったやり方でやり遂げてみせる。絵コンテに着手した。だが、与えられた原作「ハウルの動く城」は奇想天外で、難解な物語。どう構成したらいいか、糸口がつかめない。けれど、誰にも助けを求めなかった。

細田が振り返る。

「東映で学んだぞ」みたいな、変な自負というか、安いプライドみたいなものがあって。宮崎さん、高畑さんに相談したりとか、一種教えを請うってことも、今から思えばちょっとぐらいしても良かったんじゃないかと思うんだけれど。なんか、こう、一方でここで「ああだ、こうだ」っていう風に言われちゃうのも嫌だなというのもあって。

細田は自らの殻に閉じこもり、独り孤立していた。8か月後、コンテはついに行き詰った。担当のプロデューサーからこう告げられた。「細田君、これ、もう無理だね」。

4月21日です。2002年の。覚えてますね。「もう信用されるのは無理だな、俺は」っていう。監督としては、こういう風になった以上は。

失意の途中降板。だが、本当の試練はそれからだった。元の会社で映画の企画を出し続けるも、一本たりとも通らない。「細田は終わった」と業界で囁かれた。