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片倉 憲伸(かたくら けんしん)|武田一義
2026年9月21日 21:00
https://note.com/144takeda/n/n95871a94d94c

生年月日:1921年(大正10年)3月10日魚座
物語開始時(1944年-昭和19年-7月)満23才
出身:茨城県日立市高松台
階級:陸軍兵長
所属:陸軍歩兵第二連隊第二大隊第五中隊第一小隊。
のちにペリリュー持久部隊第三(島田)分隊→片倉分隊隊長。
学業:尋常小学校→高等小学校→青年学校
志願前職業:実家の寺(曹洞宗)で父のもと15才から修行をしつつ、地元の消防組(1939年に警防団となる)に参加する。1940年陸軍に志願。
配偶者・恋人:独身。
家族:祖父、父(明憲-みょうけん-)、実母(八重子・憲伸4才時に病死)、継母(君代・憲伸9才時に父が再婚)、兄(憲昭-けんしょう-4才上)
戦後家族:妻(澄江・2才上)、長女(香澄)、長男(智憲-とものり-)
背景:実家が寺であることから地元との結びつきが濃い環境に育つ。大人たちには「お寺さんの次男」として、子共同士では「憲昭の弟」として知られており、後に軍に入るまでほとんど自己紹介というものをしたことがない。
幼い頃から4才上の兄や年長者に交じって行動していたためか非常に体力がある。ルールを考えること、話しあうことは年長者の役割で、憲伸はそれに従い動いていれば良かった。
4才で母を亡くした時、「人は死ぬ」ことを理解。父は「師」、兄は「兄弟子」で、継母との距離感も節度あるものだった。
実家の寺は兄が継ぐ予定だったが、兄が召集された場合のためにと、共に修行を受ける。兄が20才を過ぎひとまず召集を免れると憲伸は陸軍に志願。地元の多くの同年代が軍に入るなか、それが自然なことだった。満州北部でのゲリラ掃討で功を成し分隊指揮に抜擢された。
戦後:撃たれた左足を切断。義足となる。帰国後は実家での療養がてら英語を習得。その後地元の電機メーカーに勤務し、上司の親戚である五木(ごき)澄江と見合い結婚する。仕事の延長の結婚ではあるが、子供も孫もでき長年連れ添った妻との間には戦友に似た感情を抱いた。が、子供たちにとっては仕事で不在が多く、会話もかみ合わず、一緒にいるとどこか緊張させられる居心地の悪い父であった。
最期:2017年(平成29年)2月22日肺炎により入院先の病院で死去。享年95才。