また信者が何を批判されれているか理解できなくて、身内のオタク仲間にしか通用しない、映画的にまったく擁護になっていない擁護を繰り返すだけの堂々巡りを開陳してるのか、本当に頭が悪いんだなあ
「認知が歪んでる」と言われて当然だろう


『パリに咲くエトワール 』と「推し活」の問題 宇野常寛
2026年4月22日 06:33

動画で述べている僕の同作についての批判点は大きく分けて二つある。一つは不自然な「説明」台詞に頼った演出であり、もう一つはご都合主義的な物語展開だ。(この辺りは、最後まで僕らの動画を観たのかどうかも怪しい人が、反論しやすいように内容を脚色して紹介しているポストではなく動画を最後まで観て欲しい。)

たとえば物語の序盤で、ヒロインのフジコのことを母親が否定的に評価するシーンがある。これは来客に世間話をする中で、兄二人とフジコを比較する内容が語られる、というシーンなのだがここがものすごく不自然なのだ。
要するに観客向けの「母はこうした理由でフジコの個性を抑圧しようとしている」という「説明」を、無理やり来客との会話として行うので、ものすごく不自然に見えてしまうのだ。

仮に彼らが大正時代の日本に実際に生きていたとして、このような「まるでその場面を見ている観客を想定しているかのような、不自然な説明台詞」を長々と喋るはずがない。

一応断っておくが、少なくとも『パリに咲くエトワール』は登場人物が観客に語りかけたり、楽屋オチを盛り込むようなメタ水準を含む作品ではなく、「本当にその世界では彼ら彼女らが生きていて、その場面を中継している」というリアリティで描かれている。
このスタンスでやるなら、母のフジコへの評価は序盤の母の長台詞で説明するのではなく、物語の中でのやり取りの中で観客に感じさせないといけない。
そうじゃないと、リアリティを損なうからだ。(略)

『パリエト』にはこうした描写が多いのだが、なぜかXの「界隈」では「吉田玲子の〈書かない脚本〉がいい、セリフではなく芝居で見せる作品」みたいに言われている。しかしタイムラインの潮目ではなく作品を観る限りその真逆の評価にならざるを得ない。

「2クールのテレビアニメならそれはできるが、2時間の映画ではそれは無理だ」と反論したくなったあなたは(この人がまさにそうなのだが)「推し活」的な動機とそのバイアスで、まともにものが考えられなくなっている。2時間の映画でそれができている作品など、山ほどある。「推し活」的な贔屓の引き倒しで、認知が歪みすぎていると思う。