>>144
フジコの千鶴や薙刀教室の皆への関与が、言うなればフジコの創作活動であり、そして現実逃避。
ものにならなければ、かなり痛ましい。
千鶴もそこら辺は察していたし、心配していた(夜中の「絵を描いてもいいのよ」の台詞)。
フジコが千鶴の晴れ舞台を観て、「妖精」を久々に取り戻し、「巴里に咲くエトワール」を描けたから(取り込んだ膨大な情報の止揚が出来て、描きたい方向性を確立出来た)、千鶴は晴れてフジコのミューズとなり、フジコの千鶴への応援も現実逃避ではなくて画家として必要なプロセスと出来た。
そう言う理解が有れば、終盤、千鶴が泣きながらフジコに抱きついた心情にも、より共感できると思う。