「義務教育の敗北」=パリエト信者

公式Xなどの作品外の情報やスタッフの談話を含めて「考察」すれば補えるのかもしれないが、それは単にあなたたちのファン活動なので、作品の鑑賞とは無関係だ。
この人は僕に「監督の意図通りに作品を観なければ絶対ダメとは思いませんが、少なくとも作品を批判するのであれば、その作品が作られた意図まで遡って思いを巡らせるべき」とかウットリ述べるのだが、この辺はまあ、義務教育の敗北を感じざるを得ない。

加えてこの人は「作品を鑑賞する」というのが何か、そもそも理解できていない。

単純にスタッフインタビューで補完しないといけない作品は「描けていない」「伝えられていない」ダメな作品だ。
少なくとも僕はこうした「推し活」的な補完活動を通じて「考察」的に説明しなければ、リアリティを感じなかったり、見せ場で作者の都合を感じさせてしまう作品は評価できない。

ここ2日間で痛感したのだが、『パリエト』の信者的な人たちはまず「推し活」的な動機で、都合の悪いものは都合よく視界から排除し、逆に描かれていないものまで最大限に好意的な考察で付加してしまっている。

それはまあ、勝手にやっている分にはいいのだけど、そのモード「ではない」感想に出会ったときに、「あいつを潰してやれ」みたいなムーブに出るのは正直言って、常軌を逸している。