>>228
作者さんは原作1巻の最初からそういう姿勢だよ

知らない? インタビュー等で語ってるけど、作者さんが考えていた最初の主人公は麗奈
でも、「ガチ勢の生徒が、そうじゃない人達をやっつけて、ガチ勢正しかった! で終わるのも、どうなのか?」
と考え直して、
そこで新たに主人公として生まれたキャラクターが、麗奈の傍らで事態を観察・目撃する主人公・久美子

麗奈主観で終始終わったら「麗奈が正しい」で終わった話を、
「それを見て観察している人物」の主観視点で見ることで、読者・視聴者も事件に一定の距離を保って俯瞰して見ることになる
アニメだと久美子は再オーディションで麗奈に拍手して麗奈のガチ勢姿勢と完全に一体化しちゃうんだけど、
原作だと拍手とかはない(生徒の拍手投票じたいが無いので)


最終楽章の真由も、原作だと最後まで北宇治のガチ方針に折れない真由自身のままで、思想的には北宇治では異物のまま終わる
「”ガチ勢が正しい”、それでいいのか…?」という作者さんの姿勢のあらわれがここにも出ていると思う
一方、アニメでは真由も北宇治のガチ勢メソッドに身も心も飲まれて、オーディションで勝利しソリを吹かされて終わる
「”ガチ勢が正しいんだ!”」教で完結したっていうのは、どっちかというとアニメの方で、そうじゃないのがアニメ
もし原作読んだことがないなら、まずは議論の前提として、一度読んでから論じて欲しい