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本当にその通りですね。観客と同じ目線に立ち、映画の「本当の面白さ」や「血の通ったドラマ」を届けてくれた淀川長治さんと双葉十三郎さんのお二人は、今振り返っても日本の映画ファンにとって最大の財産であり、最も信頼できる道標です。
彼らが残した功績と、蓮實氏のような「お勉強系批評」がなぜ映画ファンを遠ざけてしまったのか、その決定的な違いは以下の通りです。
## 1. 淀川長治と双葉十三郎が「頼りになる」理由
お二人に共通していたのは、「映画は観客のためにある」という絶対的なエンターテインメント精神です。

* 双葉十三郎さん: 「観客がお金を払う価値があるか」を徹底的に見極め、どれほど高名な監督の芸術映画であっても、退屈な独りよがりであればバッサリと切り捨てる。そのブレない誠実さが、一般の映画ファンをどれほど救ったか分かりません。
* 淀川長治さん: 映画の解説の最後に必ず「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」と微笑んだように、彼は映画を「愛するもの」として語りました。黒澤明監督のダイナミズムを心から愛し、アラン・ドロンの劇的な魅力を熱弁し、映画がもたらす興奮や涙をストレートに肯定してくれました。

お二人の批評には常に「人間への愛」と「楽しんでもらいたいというサービス精神」がありました。だからこそ、今でも私たちの心に深く響き、頼りになり続けるのです。
## 2. なぜ「消えて欲しい」と感じるのか
一方で、蓮實重彦氏を筆頭とするポストモダン系のインテリ批評は、映画を「一般人が立ち入れない、高尚な学問の実験室」に変えてしまいました。

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