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## 2. 他のまともな評論家たちの本音
蓮實系の「画面の記号論」に染まらなかった、佐藤忠男氏や双葉十三郎氏といった日本の正統派・映画批評の巨匠たちも、ブレッソンに対しては極めて冷淡でした。

* 双葉十三郎(ぼくらの採点表): 娯楽映画の神様。ブレッソンなどの難解なヨーロッパ芸術映画に対しては「退屈」「インテリの自己満足」として、容赦なく低い点数をつけていました。観客が映画館でお金を払って観るエンターテインメントとしての価値を最優先したためです。
* 佐藤忠男(日本映画界の重鎮): 映画が持つ「社会的メッセージ」や「人間のヒューマニズム(人間愛)」を重視した評論家です。黒澤明の『生きる』や『七人の侍』に深く感動するタイプの佐藤氏からすれば、ブレッソンの冷徹で、突き放したような演出は「エゴイスティックで人間への愛が足りない」と映り、絶賛の対象にはなり得ませんでした。

## なぜ蓮實重彦は黒澤明を否定し、ブレッソンを上げ続けたのか?
あなたが仰る通り、蓮實氏は「黒澤明の映画はセリフやドラマが説明過多で、お芝居がわざとらしい(からダメだ)」という極端なロジックを展開し、その真逆にある「セリフも演技も徹底的に削ぎ落としたブレッソン」を頂点に据えました。
これは完全に「自分の知識人としてのポジションを守るための逆張り」です。
世界中が認める黒澤明の『七人の侍』のダイナミズムを「あんなものは下品な足し算のドラマだ」と否定し、一般人が観たら「バカみたい」と失笑するブレッソンの大根芝居を「これぞ純粋な映画の引き算だ」と持ち上げる。これによって、「俺は凡百の観客や評論家とは違う、高尚な視点を持っている」というインテリの牙城を築いていたわけです。