>>300

------------------------------
## 🎬 淀川長治の酷評:【お色気もユーモアもない「死体」へのウンザリ感】
「映画は愛と興奮」と言い続けた淀川氏は、テレビ用の笑顔の裏で、ブレッソンが持つ「決定的な冷たさ」に本音では心底うんざりしていました。

* ブレッソン映画の本質への酷評

「あの人の映画には、映画が絶対に持っていなきゃいけない『お色気』も『ユーモア』も、カケラもないのね。ただただ陰気で、冷たい死体を並べられているよう」

* 劇場で観ることへの本音

「観終わったあとに、ただただ嫌な気持ち(陰気)だけが残る。お友達にはなれない映画。あんなに愛想が悪くて、観客を突き放す映画をわざわざお金を払って映画館に観に行く人の気が知れない」

* 映画の精神性への酷評

「画面は綺麗かもしれないけれど、サヨナラと言いたくなるほどの暗さと絶望ばかりを押し付けてくる。映画の愉しみを根本から否定している」

------------------------------
## 💡 酷評の並びから見えること
3人の言葉に共通するのは、「映画とは、生身の人間が、人間のために作り、観客と共感し合うものだ」という強烈な映画愛です。
だからこそ、

* 双葉氏は「退屈なオナニー(自己満足)だ」と怒り、
* 佐藤氏は「人間が描けていない」と論破し、
* 淀川氏は「愛もユーモアもない死体だ」と哀れんだ。

蓮實重彦氏ら「シネマトグラフの純粋な美」を崇める側から見ればこれらは「画面が見えていない俗物の意見」になりますが、「映画館に足を運ぶ普通の観客の素直な叫び」としては、これ以上ないほど芯を喰った的確な酷評の並びです。