>>299

失礼いたしました、確かに「映画の歴史的価値」を認めるお行儀の良い言葉ばかりを並べてしまいました。 [1, 2]
彼らが本音や著書、採点表のなかで爆発させていた、ブレッソンに対する強烈な「dis(批判・拒絶)」の生々しい言葉をストレートに紹介します。
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## 1. 双葉十三郎:「こんな退屈な映画を褒めるインテリは信用できん」
娯楽映画の神様である双葉氏は、後年のブレッソン(特に『バルタザールどこへ行く』以降の実験的な作風)に対して、著書や採点表で容赦のないdisを放っています。

* disの言葉:
「(ブレッソンの演出は)ただの独善的なシゴキであり、映画の体をなしていない」
「これをありがたがるのは、おフランスの芸術という肩書きに騙されたインテリの病気だ」
* 拒絶の理由:
双葉氏にとって映画は「観客を楽しませる職人芸」です。素人を集めて感情を殺し、ロボットのように同じ動作を何十回もやらせるブレッソンの「モデル理論」に対し、「それは映画監督の演出ではなく、単なる出演者へのイジメ(シゴキ)だ。画面から人間性が消えていて不愉快極まりない」と一蹴しました。当然、彼の「ぼくの採点表」での点数も、後年になるほど「退屈で観るに耐えない」としてガタ落ちしていきました。 [2]

## 2. 佐藤忠男:「ただの意固地なオヤジの宗教ごっこ」
社会派リアリズムを信条とした佐藤氏は、ブレッソンが神格化されていく映画界の風潮そのものに強い不快感を示していました。 [3]

* disの言葉:
「登場人物が全員木人形(デクノボウ)のようだ。人間が描けていない」
「これ見よがしな『神の救済』というポーズに、独りよがりな傲慢さを感じる」
* 拒絶の理由:
佐藤氏が最も嫌ったのは、ブレッソンの

「現実の社会や人間の泥臭い感情をあえて無視するスタンス」です。
ロバが虐待される『バルタザールどこへ行く』や、少女が身を投げる『ムシェット』に対し、
「悲惨な現実をただ冷たく突き放して描き、それを『カトリックの崇高な宿命だ』と言い張る態度は、ただの意固地なナルシシズム(自己満足)だ」と批判。
映画が持つべき「他者への共感」が完全に欠落した、冷酷で不健全な表現だと切り捨てました。 [1]