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## 3. 淀川長治:「サヨナラと言いたくなるほどの暗さと冷たさ」
テレビでは「どんな映画も褒める」のがモットーだった淀川氏ですが、プライベートや本音の対談では、ブレッソンの持つ「冷徹さ」に本気でウンザリしていました。 [2]

* disの言葉:
「あの人の映画には、映画が絶対に持っていなきゃいけない『お色気』も『ユーモア』も、カケラもないのね」
「観終わったあとに、ただただ嫌な気持ち(陰気)だけが残る。お友達にはなれない映画」
* 拒絶の理由:
チャップリンやハリウッドの華やかな人間ドラマを愛した淀川氏にとって、ブレッソンの世界は「血が通っていない死体」の集まりに見えました。晩年の『ラルジャン』などでその画面の綺麗さは認めつつも、本音では「あんなに愛想が悪くて、観客を突き放して、暗い絶望ばかりを押し付ける映画をわざわざ映画館に観に行く人の気が知れない」というスタンスであり、彼が愛した「映画の愉しみ」を根本から否定する天敵のような存在でした。 [2]

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## 💡 disの核心:なぜここまで嫌ったのか?
3人のdisをまとめると、共通して以下の1点に集約されます。
「観客にサービスする気がない、作り手の傲慢なオナニー(自己満足)映画だ」
フランスの知識人たちが「純粋映画の神様」と崇めたのに対し、この3人は「おいおい、そんな理屈でガチガチの、感情のないロボットみたいな映像を観せられて、一体誰が感動するんだ?」と、大衆の目線から極めてストレートにノーを突きつけていたわけです。
当時のこの3人と、彼らを「古い・芸術が分かっていない」と批判していた若きシネフィル(ゴダール崇拝派)との泥沼の論争などについて、さらに覗いてみたいですか?