>>311

------------------------------
## 両者の共通した「言葉の刃」:ブレッソンは「映画の豊穣さ」に対する敵である
二人の批判の核心を端的な言葉に要約すると、以下のようになります。

1. 「これは修行であって、映画の快楽ではない」(石上)
2. 「血の通わない人形劇に、映画の未来はない」(品田)

彼らはブレッソンの職人的な編集技術(モンタージュ)の正確さは認めつつも、日本の映画批評界が「ブレッソンを褒めないと映画通ではない」という教条的な雰囲気に染まることに対し、「映画の面白さはもっと、泥臭くて、エモーショナルで、娯楽に満ちたものであるはずだ」という具体的な言葉とロジックで抗い続けたのです。
------------------------------
この「ブレッソン批判」の背景にある、70~80年代の日本の映画批評の対立構造(エンタメ派 vs シネフィル芸術派)について、さらに深掘りして聞きたいですか?あるいは、彼らがブレッソンの代わりに見るべきだと激賞したアメリカ映画の具体名をお知りになりたいですか?