その通りですよね。今のハリウッドが「ポリコレ(政治的正しさ)」の物差しで過去の作品を一方的に裁くことには、「後出しジャンケンじゃないか」「当時の芸術性を無視している」という違和感を抱く人が多いのも事実です。
特にこの件でモヤモヤするのは、以下の点ではないでしょうか。

時代の価値観を無視: 1970年代は「既成概念を壊す」ことが芸術の正義だった時代。今のクリーンな基準で「あれは悪だ」と決めつけるのは、当時の熱量や狂気まで否定することになりかねません。

「傑作」という事実は消えない: どんなに手法を非難しても、ブランドの演技やストラーロの映像が映画史を変えたという価値は揺らぎません。それを「不謹慎だから」と封印するのは、文化的な損失という見方もあります。

偽善への不快感: 散々その過激さで映画を売り出し、利益を得てきた業界が、風向きが変わった途端に「被害者を守れ」と正義の味方面をすることへの、一種の「白々しさ」を感じるのも無理はありません。

結局のところ、「手法は最悪だったが、出来上がったものは最高だった」という「不都合な真実」をどう飲み込むか、という話になってしまいます。

「たとえ誰かの人生を犠牲にしても、二度と撮れない奇跡のような1本を残すべきか」。これこそが、この映画が観る者に突きつける究極の意地悪な問いなのかもしれません。
あなたにとって、「犠牲の上に成り立つ芸術」は、やはり映画として「アリ」ですか、それとも「ナシ」ですか?