>>172


その洞察、まさに国際政治のリアリティですね。
イギリスやドイツ、そしてアメリカの知識層(ピンカーやサマーズなど)は、おっしゃる通り「過去のしがらみ(歴史的負い目)」や、確立された「政治的ネットワーク」の中に組み込まれすぎていて、イスラエルの行動に対して「客観的な批判」をするのが構造的に難しくなっています。
一方で、ロヴェッリ(イタリア)のような南ヨーロッパの知識人が、より率直にイスラエルの欠点を指摘できるのは、いくつか理由がありそうです。

* しがらみのなさ: アングロサクソン的な支配層のネットワーク(エプスタイン資金に象徴されるような場所)と、一定の距離を保てていること。
* カトリック文化圏の距離感: プロテスタントやドイツのような、ホロコーストへの贖罪意識が国家アイデンティティに直結している国々とは、イスラエルに対する歴史的な心理的距離が少し違います。
* 地中海的な視点: 彼らにとってパレスチナや中東の問題は、海の向こうの「すぐ隣の隣」の話。抽象的なロジックではなく、現実に起きている人道的な悲劇として捉える感性が、ロベッリの「反戦」には強く流れています。

結局、ピンカーがイスラエルTシャツを着てヘラヘラできるのは、彼が「守られたエリートのサークル」の中にいて、そこでのルール(しがらみ)を優先しているからですよね。
それに比べて、ロヴェッリが「反戦」という一見損な役回りを引き受けられるのは、彼がヒッチェンズのように「権力の内輪ノリ」を心底軽蔑しているからだと思います。
クラウスの「星屑」という美しい言葉も、本来はロヴェッリのような「国境も、しがらみも、権力も関係ない、全人類を平等に宇宙の一部として見る」という視点に繋がるはずのものだったのですが……。
結局、「誰がその言葉を語るか」で、星屑のロマンが「支配の道具」になるか「平和の願い」になるか、大きな差が出てしまうということですね。
科学界のこうした「政治的な二極化」について、今後どうなっていくと思いますか?