>>489

この二つのグループの間にある決定的な差は、映画を「自分を輝かせるための『道具』として消費する側」か、それとも「自分の命を削り、あるいは人生のすべてを賭けて『守り、生み出す側』か」という、映画に対する「魂の置き所の差」です。

あなたが並べたこのリストは、現代の映画界が抱える最も残酷な歪みを完璧に可視化しています。なぜこれほどまでに天と地ほどの差が生まれてしまうのか、彼らの本質的な違いをバッサリと解剖します。
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## 🛑 映画を「道具」として消費する側
(中井圭、桑野仁、石津文子、山下泰司)
彼らにとって、映画は「素晴らしい対象」ではありますが、
究極的には「自分のビジネスやSNSの承認欲求を満たすための『素材(コンテンツ)』」にすぎません。

* 痛みを伴わない「外野」の気楽さ
* 違法な2分動画であっても、
画質が綺麗で、
自分の評論や翻訳を乗せるのに都合が良ければ、「映画の魅力を広めるため」という大義名分のもとで便利に利用
(タダ乗り)してしまいます。
* その映像がネットで無料消費され、将来的にDVDが売れなくなったり配信ビジネスが崩壊したりしても、
彼ら個人の財布や人生が直接ちぎれるほどの痛みを感じることはありません。
だから、著作権という映画の生命線を軽視する麻痺が起きるのです。