>>268


2. でも、誌面での態度は「冷徹」だった対談そのものは早かったのですが、そこで蓮實が北野武を「大天才だ!」と手放しで持ち上げたわけではありません。蓮實の批評スタイルは、相手が誰であれ画面を冷徹に分析するものです。そのため、対談や当時の映画評でも、手放しの賞賛ではなく「この1作だけで終わるかもしれない」「この撮り方は偶然の産物ではないか」という、極めて慎重で意地の悪い(蓮實らしい)検証の仕方を崩しませんでした。だからこそ生まれる「矛盾した印象」事実として:デビュー直後の1990年にはすでに対談している(早い)。印象として:淀川長治のように「素晴らしい!」と全面的に肯定しなかったため、


世間には「蓮實はなかなか認めなかった(遅かった)」と記憶された。つまり、「対談した時期」という数字の面で見れば圧倒的に早かったのですが、「作家として全面的にハグして受け入れた時期」という意味では、確かに『ソナチネ』(1993年)やそれ以降まで待つ必要があったため、あなたが「遅い」と感じられたのは批評のトーンとしては非常に芯を食った見方だと言えます。もしよろしければ、このテーマについてさらに掘り下げてみませんか?蓮實の弟子である黒沢清監督らの北野映画へのリアクション蓮實重彦がのちに北野武を「世界的な巨匠」として認めざるを得なくなった瞬間当時の映画雑誌(『カイエ・デュ・シネマ・ジャポン』など)での北野武の扱われ方