打ち上げ花火、オタから見たら(小原篤のアニマゲ丼)
http://digital.asahi.com/articles/ASK8J740WK8JUCVL029.html?rm=625

「何度やり直してもうまく行かないのはこの世界が玉の作ったニセモノだからであって、
離ればなれになる現実世界に戻るしか道はないのか」と典道となずなの間に
切なさと無力感が募っていく映画版の展開には、引き込まれるものがありました。
分岐世界の先々で見る「打ち上げ花火の形」が幻想的で美しいと同時に、
残酷である(ここが現実ではないと思い知らされる)というところがこの映画の最もユニークで素晴らしいところです。
「丸いか平べったいか」問題は、ドラマ版では物語を進める仕掛けに過ぎなかったのですが、
アニメ映画では2人の運命を示すビジュアルとしてドラマチックな役割を担っています。

その先の、オチでの収拾の仕方は甘いというか心地よすぎというか、割と楽な結論に流れた感じがしました。
もうひとヒネリあってもよいのでは? 「君の名は。」の瀧と三葉はあんなに苦労したのにな……
といった思いを抱くのは、2作を結びつけて考えすぎでしょうか。

ただ、これはこの映画のキズとまでは言えません。キズを挙げるとすれば「色気」です。
デザインや描写が「美少女アニメ」の作法というかお約束にそのまま乗っかっているため、
メジャー作品の「東宝の夏アニメ」としては色気に違和感と過剰感があり、
それだけにとどまらずある場面では物語に破綻(はたん)をもたらしています。いや、私はキライじゃないですけどね。
(中略)
ドラマ版でも女性教師の胸をもむ男子が出ており悪ガキたちの色ボケ度を示すのは物語上必要なのですが、
問題はなずなも他の女子もみんなスタイルが良すぎて(美少女アニメのお約束です)、中学生に見えないところ。
普通に映画を見た観客はまず高校生と思い込むのでは?
(中略)
駅のホームのトイレでなずなが浴衣から着替えるシーンはドラマ版でも印象的で、
板一枚へだててきぬずれの音を聞く典道くんと一緒にテレビの前の少年たちをドキドキさせたものですが、
アニメではエロ度がアップ。何かが見えてしまうようなことはありませんが、
のぞき見るようなカメラワークと絶妙のチラリズム(美少女アニメの作法)、
さらに声を当てた俳優の広瀬すずさんが「女の子はどこに行ったって働けると思うの。夜の商売とか。
16歳とか言って」というセリフにたっぷり艶(つや)を加えて威力抜群です。
この映画の最大の問題点は、このあとです。

純白の肩出しワンピースに着替えたなずなが、恥じらいつつ(しかしやや誇らしげに)ポーズをとって典道に尋ねます。
「どう? 16歳に見える?」

いやいや、18とかハタチに見えるよ!(ちなみに広瀬すずさんは19歳)

ドラマ版では、黒のタンクトップに着替えた奥菜さんの思わぬ「大人っぽさ」が「小6」という設定と
「16歳」というセリフの間をただようところがイイわけですけど、アニメは美少女キャラの色気全開。
そもそもアニメは設定が16歳だろうが13歳だろうが絵だから色気をつけたけりゃ好き放題にバンバンつけちゃうものなので、
ドラマの通り「16歳に見える?」をやりたけりゃなずなの色気をもっと抑えなきゃいけなかったのです。
そうしないのであれば、ここのセリフは「どう?」だけでよかったんじゃないでしょうか。

私が心配するのは、なずなたちを高校生だと思い込んでいた観客がこのシーンで
「え? 16? なに言ってんの?」と混乱するのではないかということ。大丈夫ですかねえ?